一昨日開催された
「ゴー宣DOJO in名古屋」『人権カルトと日本人論』、
「世界のゴー宣ファンサイト」に寄せられた感想の中から、
まいこさんと和ナビィさんの感想をご紹介します
〈まいこさん〉
今回のDOJOは幸運にも最前列で体験させていただき、
皆さまの縦横無尽なお話を堪能できました。
ありがとうございます。
「大吉原展」のキャンセル、映画「吉原炎上」や歌舞伎
「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)」などで
花魁道中を観れば、あの美しさ、煌びやかさ、人を虜にする
手練手管を獲得するに至るまでに、どれほどの研鑽が
積まれてきたか感じられるはずで、江戸に行ったら吉原見物、
遊女のトップに上り詰めたスターとしての花魁を憧れの目で
眺めるのは、ジャニーズや宝塚、秋葉原でアイドル劇場に
行くのと同じ、脈々と受け継がれている文化を無かったことに
しようとする無知蒙昧に呆れていたところ、
アメリカ建国200年では思考実験が出来ないという先生のお話に、
胸のつかえが取れました。
2000年の歴史で培われた生活に根ざした知恵と、苦界から
スターとなり得る大らかなる文化は、これもたかだか
200年あまりのフランス人権宣言でわざわざ言葉にされるよりも、
はるかに自由と、平等ではなく同等に近いことが分からない
知識人の皆様は、いまだに上等舶来に囚われているのでしょう。
「学問のすゝめ」 「ゆえに今、人と人との釣合いを問えば
これを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは有様の等しきを
言うにあらず、権理道義の等しきを言うなり。」
rightを福沢諭吉が如何に訳したかという御解説は圧巻で、
先生がホワイトボードと仰ると、いつもわくわくします。
「権理道義」は義に通じる理のある力、「権利」は利己主義、
自分の利益だけの権限、力とすれば、どちらが優れた訳、
もしくは使いたい言葉であるかは一目瞭然。
「自分だけの利益」を振りかざす「権利」よりも、「義に通じて
いるか」を考えて行使する「権理」は、八百万の神、豊かな
自然のすべてに神をみる多神教の日本人にはぴったりの
言葉だなと思います。
ゴーさんの言われた「大したことない」の後には
「何とかなる」という言葉が続くように感じました。
日本で長い歴史が続いているのは、「大したこと」が起きても
「何とかなる」を繰り返してきたから。
これも豊かな自然に恵まれた条件と日々刻刻と変わる状況に
対応できる慣習法のお陰であり、草木の生えぬ「とにかく
自分のことだけは守らないと何とかならない」場所で発展した
一神教の発想が、一過性の、一世代限りの権利を追求するもので、
多神教の日本とは相いれないものであると、皆さまのお話から
受け止めました。
「日本人が日本のことを知らなさ過ぎる」ゆえに、人権、
権利という舶来の言葉を信仰して、天皇から芸能、庶民の
生活に至るまで、あらゆる光と闇、聖俗を内包しつつ醸成された
類まれなる文化をキャンセルする愚を、これ以上繰り返さない
ために、やはり小林先生の作品、歌、お話、御著書はすべて
日本にとって必須の教養ですね。
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〈和ナビィさん〉
【人権カルトと日本人論】、若い頃からの長年の読者が
登壇者となり大活躍、その論の切り込み方・それを言い表す
正確な言葉にはっとし唸りました。
「ゴー宣」を文字通り血肉として壮年となりプロの仕事を
なさっている人。
第一部の最後の場面で—おぉ、あんなに探していたものが
ここに有るではないか—の如く、先生が感慨深げに絶賛して
おられたのがとても印象的でした。
「ゴー宣」を描き、ゴー宣道場(DOJO)を十数年にわたって
「変わり続ける姿勢を変えない」で継続してきたからこそ
この時が来たんだ、とこちらも感動しておりました。
それは「よしりん先生が身を以て育ててこられたのです」。
先生の作品を読み、ゴー宣DOJOに集う方々もご同様では
ないでしょうか。
保守系でもリベラル系でも、また政治家でも、外部からの
ゲストを呼んでの道場をこれまで数多く重ねてきましたが、
そのどれにも無かった感覚があったのが≪今回≫でした。
外に優れた思想・専門知識を持っているエライ人がいて、
ゲストとして招いて学ぶ、参考にさせてもらって議論する、
というイメージがこれまでずっとありましたが、
実はそんなものは無いのではないでしょうか。
近年に於いても、皇統問題、コロナ・コロナワクチン騒動を
はじめ、様々な出来事を通じてわかってきたことがあります。
—-不正確さ・マウント取り・おためごかし・無責任・
浅薄な思い付き・難しそうに言って人々をケムに巻く・・・
知識人と言われている人々の中にどれほど巣くっていることかが
顕わになりました。
新聞、各種メディアは言わずもがなです。
いわゆる“知識人”の自己確認欲・その形はかなり変で常識外れの
場合も多いと思うようになりました。
ゴー宣DOJO、その後の名古屋ナイトクラブ(大盛況☆)で
設営のお手伝いをしましたが、その際、ライジングやサイトに
投稿される方のお名前と顔が一致した何人もおられ、
お話もできてとても楽しかったです。